信じるものがすくわれるのは足元だけ?と思い出したのは、池上彰氏が説く教養の記事に相場と向き合う方法を見たときでした。
学問においては常にすべてを疑うことが大事ですが、それを実生活に置き換えると、どんどん人間関係が狭くなっていってしまいます。ですから私はそんなとき、「適度な懐疑心」が必要だという言い方をします。(オリジナル記事はこちら)
新聞やテレビで引っ張りだこの池上氏は、我が家の夕食でもテレビで知らないことを教えてくれたりと、足を向けて寝られません。
そんな池上氏が語った言葉の「人間」を「相場」に置き換えたら、それはそれはドンピシャに的確な表現だと感じ入りましたので、こちらにてアレンジして紹介します。
※ 原文はオリジナル記事を参照くださいね。
人間を相場に置き換えてみたら?
相場は嘘をつき、人を裏切りもするので信用できません。でも、どこかで相場が成り立っているということは、信じられる部分があるということなのです。そのどちらを見るかによって、トレードライフはずいぶん大きく変わってくるはずです。信用出来ないところばかり見ていたら、本当にトレードは真っ暗ですよね。でも、やはり信頼できる部分はあるのです。その部分を重点的に見ていくと、この世の中は捨てたものではないと明るくなれると思います。
そう、同じ景色を見ても、足元の泥を見るのか、頭上の星空を見るのかで全く違った人生になるとは、何かの本で読んだことを思い出します。
平和な時代に栄えるマーケット
実は相場(マーケット)が成り立つ国や時代は、平和である必要があるようです。私が知るかぎりで最も近代的な先物相場が出来上がったのは、堂島のコメ相場です。そう、我らが日本!
時代を同じくして他の国が何をしていたかといえば、暴力による収奪や国家の侵略、奴隷の売買など「力」での支配・征服のど真ん中。だから日本がローソク足チャートを使っていた頃に、占星術とか易みたいな牧歌的なものが本気で使われていたわけです。
優れたマーケットが成り立つためには、お互いが納得して値段を決めたら、約束を守る環境が必要だということですね。
今の日本にそうした環境があるかといえば疑問を感じずにいられない部分もあります。
でも、「国は嘘をつき、人を裏切りもするので信用出来ないけれど、国が成り立っているということは、信じられる部分がある」ということなのでしょうね。
どうせなら、明るい星を見て生きていきたいものですね!
ハッピー・リビング!