《妄想》 クルマの電源までネットワーク化する時代

car-networks

運転が嫌いな私は、クルマに乗るたびに自動車同士がネットワークでつながり電源を融通しあいながら、自動運転でハンドルを握らず目的地に着くまで車内で好きなことができる素晴らしい時代が来る!という妄想をふくらませてしまいます。

私がもっとも嫌いなものの一つに、自動車を運転するという行為があります。

車庫入れがダメというわけではなく、運転する時間がもったいなくて仕方がないのです。

例えば、15分離れたジムに行く時でさえ、その往復30分を読書や学習に使えたらどれだけいいだろうと考え始めると、他のことをせずにいられなくなります。が、ハンドルは握っている必要があるので、必然妄想が始まるというわけです。

人生はパラドックスで、嫌いだと思えば思うほど、その対象を引きつけてしまうようにできています。

家族から、犬が飼いたい、クルマで旅行に行きたい、コストコに買い物に行きたいとせがまれ、半分嫌気がさしながら小型のハイブリッドを買ったのが1年前。

以後、気がついたら買い物はクルマ、運動のジムに行くのもクルマ、犬を連れて出かけるのもクルマ、旅行もクルマです。

それでもって、運転している間の半分くらいは、「この時間を他のことに使いたいな~。早く自動運転のクルマ出ないかな~」と妄想しています。

まず自動運転。ウェアラブルのタブレットに向かって行きたい場所を言えば目的地を自動で設定してくれ、クルマに近づけばドアが勝手に開き、乗り込むだけで目的地に向かい始める。移動中はタブレットで仕事をしたり読み物をしたりと自由に時間を使え、到着3分前には教えてくれる。

次に電源ネットワーク。目の前のハイブリッドメーターが、スピードを落とすときに電気をバッテリーに戻しているアニメーションを見せてくれ妄想が掻き立てられます。

この再生電源を、自動車に積んだ電池に回収するのではなくて、ネットワークに戻せないだろうかと思うわけです。ちょうど電車が減速するときに発生させた電気エネルギーを架線に戻し回収するのと同じ理屈です。

ところが電車はパンタグラフと電線で物理的につながっているけれど、自動車はつながっていない。だがワイヤレスで電源を行き来できる技術が今よりもおおきく進歩して、大きなパワーを伝達できるようになれば可能性が出てくる。

たとえば長い坂道を下っていると、すぐにクルマの電池はいっぱいになってエネルギーを回収できなくなるが、ネットワークに対してなら、いくらでも流せる。

反対に上り坂を上がるクルマはネットワークから電源を得ることができる。

もちろんエネルギーロスがあるので、ネットワーク上に流れ使われる電源のトータルは足してやる必要がある。だけど伝導技術が進化すれば、ロシアやカナダみたいに場所も資源もふんだんにある現地で生産した電気をネットワークで引けばいい。

そしてネットワーク経由でクルマに電源供給ができるようになれば燃焼エンジンは必要無くなり、電気モーターだけで完結ができる。

軽くなった車重で燃費は改善する。さらにクルマに積むべきバッテリー容量を小さくできるので、自動車の製造原価も下がる。

もちろんクルマ同士がネットワークで交信するので、信号機のような人間の視覚に頼るシステムは不要になり、交通渋滞も事故も減る。

もっと進んで、そうしたネットワークに属したクルマを未使用時に貸し出しできるサービスが出てくれば、クルマの空き時間でマネタイズができる。

さらには、自家用車を「所有」するより、必要な時と場所でネットワーク上の自動車を「共有」で使えるので、自動車の総量も減らせる。

そんな時代がくれば、移動中でも運転に時間を取られずに好きなことができるようになるし、クルマの燃費は良くなるし、最高だなぁと妄想するわけです。

一方で、クルマの出荷総数が減る自動車メーカー、石油ニーズが減少する石油会社、交通違反の減少で罰金が取れなくなる警察など、収入が減る団体も出てきますから、反対活動は出てくるでしょう。

それでも、自動車同士がネットワークを経由して助け合い、全体効率が高くなる社会がくると最高だなぁ、、、と妄想をしながら、今日もクルマを運転している私なのでした。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。

 

追伸:

YouTubeで自動運転をCG作成したらしきものがありました。わかっちゃいても、ちょっと手に汗を握りますね。。。

https://youtu.be/ufK2XRGUjuc

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です