連載:なぜヘッジファンドの手の内は丸見えなのか? 第2回 秘密が爆発した1974年

連載:なぜヘッジファンドの手の内は丸見えなのか? 第2回 秘密が爆発した1974年

前回、アメリカが冷戦のさなかに「隠す文化」を制度化していった過程をお話ししました。

善意から始まったしくみが、20年以上かけてふくれ上がった。機密文書の90%は隠す必要すらなかった。

では、そのシステムは、どうやって壊れたのか。

答えは「1974年」という、たった一年に集中しています。

 

すべてはドルの「約束破り」から始まった

1971年8月15日。ニクソン大統領は、テレビ演説でひとつの決定を発表します。

「アメリカは、ドルと金の交換を停止する」

これが、いわゆるニクソン・ショックです。

それまで、世界の通貨は金を裏づけにしたドルに固定されていました。1ドル=360円。この数字に見おぼえがある方も多いんじゃないでしょうか。ドルが金で裏づけされていたからこそ、各国の通貨はドルに連動して安定していたんです。

ニクソンがこの約束を一方的に破ったことで、世界の金融システムは根底からくつがえりました。

為替レートは変動制に移行し、金利も動きだす。それまで「固定」が前提だった世界が、すべて「変動」に変わった。

市場は一気に不安定になりました。

 

そしてこの混乱のさなかで、もうひとつの事件が起きます。

1972年、ソ連がアメリカの穀物を秘密裏に大量購入しました。のちに「Great Grain Robbery(大穀物強盗)」と呼ばれる事件です。

当時、海外への穀物の売買には、ほとんど報告のルールがありませんでした。農家も消費者も、だれもこの取引を知らなかった。気づいたときには、穀物の価格が跳ね上がっていた。

1973年、穀物と大豆の先物価格が記録的な高値をつけます。

大豆先物価格チャート:1年半で約4倍に高騰(1971-1973年)

これは当時の大豆先物(CBOT)の週足チャートです。1972年の前半まで、300セント前後で安定していた価格が、わずか1年半で約4倍に跳ね上がっています。

過度な投機と市場操作のうたがいが浮上し、議会は先物市場の規制の見なおしを始めました。

市場は、透明性を失っていたんです。

 

「戦争を終わらせなかった」構造

市場の混乱と同時に、政治の世界でも秘密主義の代償が明らかになっていきます。

ベトナム戦争です。

1968年、パリで和平交渉が進んでいました。ジョンソン大統領は北ベトナムへの爆撃停止を発表し、和平への道すじが見えかけていた。

ところが、その直前に南ベトナム政府が交渉をボイコットします。

のちに明らかになったのは、当時大統領候補だったニクソンの陣営が、南ベトナム側と秘密のチャンネルを持っていたという事実でした。「ニクソンが大統領になれば、もっと良い条件になる」──そういうメッセージが、水面下で伝わっていたんです。

これは「チェンノート事件」と呼ばれています。

 

ここで強調したいのは、これが「ニクソンひとりの悪事」ではないということです。

前回お話ししたように、当時のアメリカには「国家の秘密は守られるべきもの」という20年来の文化がありました。大統領候補が秘密のチャンネルを使えたのも、政府の行動を市民が検証するしくみがなかったのも、すべてこの構造の上に成り立っていた。

ニクソンが大統領になったあと、戦争はさらに4年つづきます。ニクソン就任時に31,000人だったアメリカ人の死者は、最終的に58,000人にふくれ上がりました。

そして1973年、ニクソンが受け入れた和平条件は、1968年に得られたはずの条件と、ほとんど変わらなかったとされています。

4年間と27,000人の命。

その代償に得られたものは、ほぼなかった。

 

ウォーターゲート──秘密が秘密を呼ぶ構造

1972年6月、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルで、民主党本部への侵入事件が発覚します。

これ自体は小さな事件でした。

しかし、その背後にあったのは、ひとつの事件を隠すために次の秘密が必要になり、その秘密を守るためにまた新しい違法行為が必要になるという、連鎖でした。

ニクソンはチェンノート事件の記録が外部にもれることを恐れ、関連ファイルがあると思われるシンクタンクへの侵入まで命じています。この「隠すために隠す」という連鎖が、やがてウォーターゲートの大規模なもみ消し工作へとつながっていきます。

1974年8月、ニクソンは辞任しました。アメリカ史上、任期中に辞任したゆいいつの大統領です。

 

1974年──「透明性ビッグバン」が起きた年

1974年の透明性改革タイムライン

ニクソンの辞任から、わずか2か月半後。

アメリカ議会は、堰を切ったように改革法を成立させていきます。

 

情報公開法(FOIA)の強化。

それまで政府が「機密だから」と拒否できた情報公開のリクエストに、期限と裁判所の審査権をつけました。「隠したいものを、市民と裁判所が引きずり出せる」しくみに変わったんです。

 

選挙資金改革法。

選挙資金の寄付に上限を設け、すべての収支に開示を義務づけました。だれが、いくら、だれに渡したか。それが見えるようになった。

 

そして、CFTC(米国商品先物取引委員会)の設立。

先物市場の番人です。1974年10月、フォード大統領が署名しました。ニクソン辞任の、わずか2か月半後のことです。

CFTCのミッションは明確でした。市場の透明性を確保し、操作や不正から投資家を守ること。

穀物の秘密取引で市場が混乱し、だれがどれだけのポジションを持っているかが見えなかったことへの、直接的な回答です。

  1974年:すべてが変わった年

これらの改革は、バラバラに起きたわけではありません。

20年かけて積み上がった秘密主義が限界に達し、ニクソン・ショックで市場が揺れ、ベトナムの真実が明るみに出て、ウォーターゲートで国民の信頼が地に落ちた。

そのすべてが1974年という一点に集中したんです。

政治にも、市場にも、同じ原則が適用されました。

「もう二度と、密室でやらせない」

 

次回予告

第3回「あなたのPCに届いている、その遺産」では、この透明性革命が現代の投資家にどうつながっているのかをお話しします。

毎週金曜日に公開されるCOTレポート。ヘッジファンドのポジションが丸見えになるこのデータは、1974年の激動から生まれたものです。ほとんどの個人投資家は、その存在すら知りません。

ココスタ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です