
「今週、ビットコインのいちばん安全とされていた保管方法がAIに破られて、大金が盗まれたらしい」——そんな話を耳にした方も、多いのではないでしょうか。
どういう事件なの? 自分のビットコインは大丈夫なの? AIの時代に、もうビットコインは安全じゃないの?
もしそう思われたなら、ちょっとだけお付き合いください。
先に一つだけお伝えしておきますね。今回破られたのは、ビットコインではありません。あるメーカーのウォレットに5年前から残っていた、プログラムの書き間違いです。ビットコインの暗号そのものには、何も起きていません。
そしてもう一つ。市場のほうは、もっと不思議な反応をしました。
1,400を超えるビットコインが抜かれたのに、価格はほとんど動いていないのです。それどころか、この一週間でいちばん値下がりしたのは「下落に備えるための保険」でした。
一方でオンチェーンの指標は、軒並み跳ねています。普段なら「大口が売る前触れだ」と身構える数字が、ずらりと並びました。
事件の中身、いま持っている方が取るべき対処、そして市場がなぜ動かなかったのか。この3つを、順番に見ていきます。
何が起きたのか——5年前のコードが原因でした
まず事実関係を整理しておきましょう。
2026年7月30日、ビットコイン専用のハードウェアウォレットであるColdCardに、シード(秘密鍵のもとになる12〜24語の言葉)を作るときの乱数が弱くなる不具合が見つかりました。
原因は2021年3月のコード変更です。基板の側で乱数生成器を「無効」と定義していたにもかかわらず、暗号ライブラリの側が「その定義があるかどうか」だけを見ていたため、本来の乱数生成器ではなく予備の擬似乱数が使われていました。この状態のファームウェアが、5年にわたって出荷され続けていたわけです。
結果として、本来128ビットあるはずのシードの強度が、Mk3で約40ビット、Mk4・Mk5・Qで約72ビットまで落ちていました。攻撃者は端末に触れる必要すらありません。弱いシードをオフラインで総当たりして、残高のあるアドレスを狙って送るだけです。

規模を見ておきます。Galaxy Researchの確認ベースで約1,596 BTC・約7,300アドレス、未確認を含めた推計では最大で約2,055 BTCに達します。取引のパターンからは、少なくとも15人程度の異なる攻撃者がいたと見られています。
被害に遭われた方には、本当に心の痛む話です。
そのうえで、市場全体への影響を測るために、規模だけは冷静に押さえておきます。現在のビットコインの流通量は20,066,475 BTCです。最大値の2,055 BTCで数えても、全体の0.0102%。おおよそ1万分の1にあたります。
ColdCardをお使いの方へ:基本的に対処はひとつしかありません。新しいシードでウォレットを作り直し、資金をすべてそちらへ移すことです。詳細は発売元Coinkiteの公式告知をご確認ください。
→ Coinkite公式の告知を見る
普段なら「売りの前触れ」と読む数字が、全部そろいました
ここからが本題です。
① Coin Days Destroyed——2026年で最大を記録しました
真っ先に目に入るのがCoin Days Destroyed(CDD)です。「動いたコインの量 × そのコインが眠っていた日数」を足し上げた指標で、要するに古参の大口がコインを動かした瞬間に光るセンサーです。
7月31日、この数字が日次63,070,096を記録しました。2026年に入って最大です。週間では約1.97億Coin Daysが破壊されています。

普段であれば、ビットコイン価格の下落に備えるような数字です。
CDD指標が読もうとしているのは、古参のホルダーの売却動向です。長らく相場に残っているということは、相場のリズムも仕組みも知り尽くしていることの裏返しですし、何よりいまの価格の何百分の一で仕込んでいるなら、大きな売り圧力になる。だからこの指標が跳ねると、市場は警戒します。
実際、6ヶ月以上の休眠状態から動いた長期保有者の供給は約18.9万BTCに達し、週間としては史上最大級の減少になりました。
ところが今回は、その売り圧力が強くなるという前提が成り立ちません。跳ねた理由は、ColdCardと同じ端末を使っていた人たちが、一斉に資金を安全な場所へ避難させたことにあります。長く動いていなかったコインが動いたのは事実ですが、行き先は取引所ではなく、新しい別の自分のウォレットだったからです。
② UTXOの数——5ヶ月の増加トレンドが反転しました
次にUTXO Countです。UTXOというのは、ウォレットの残高を構成している「未使用の受け取り」のかたまりのことです。ビットコインを受け取るたびに新しいアドレスとUTXOが積み重なるので、残高がひとつに見えていても、その下では細かく分かれて広がっています。
7月30日の166,350,024をピークに、UTXOの数はおよそ55万個減りました。2月から5ヶ月かけて増え続けてきた流れが、この日を境に反転しています。

平時なら、この減少はコールドウォレットから取引所への送金、つまり売却の前触れとして読まれます。
ですが今回は、単純に技術的な現象です。複数のUTXOに分かれてビットコインを持っていた人が、それを一度にまとめて別のアドレスへ送ったからです。送金というのは複数の入力を消費して、少数の出力しか生みません。避難が起きるほど、UTXOの数は機械的に減っていきます。
③ 取引所への流入——入った分と、ほぼ同じだけ出ています
では実際に、コインは取引所へ入ったのでしょうか。ここがいちばん誤解されやすいところです。
事件後の1週間で、取引所には約17.5万BTCが流入しています。数字だけ見れば、相当な量です。
ところが差し引き、つまり入った量から出た量を引いたネットフローは、ピークの7月31日でも+6,658 BTCにとどまりました。14日平均は-2,556で、まだ出ていくほうが多い状態が続いています。

入ってきた量と、ほぼ同じだけ出ていっている。取引所を経由はしたけれど、そこで売られてはいないということです。しかも+6,658という数字は今年の最大ですらなく、いちばん大きな流入は5月中旬に出ています。
④ アクティブアドレス——増えたのは、買った人ではありません
アクティブアドレスの数も跳ねました。7月30日の約64.5万から翌日には約100万まで増え、2024年12月10日以来の水準です。1BTC未満の送金も、金曜に39,600 BTCと2022年11月以来の大きさになりました。

ただしこの指標は、少し扱いが難しいところがあります。何日以内に使われたアドレスを有効と数えるのか、定義が明示されていないからです。
今回に関して言えば、ColdCardの利用者が別のハードウェアウォレットへ資金を移したときに新しいアドレスが大量に生成され、それが同じ時期に集中したと考えるのが妥当でしょう。新しくビットコインを買った人が増えた、という話ではありません。
⑤ ETFの資金——通常運転です
では、お金そのものはどう動いたのでしょうか。米国の現物ETFのフローを見ます。

事件のあった7月29日は+3,210万ドル、30日は+2億3,310万ドルで、どちらも純流入です。31日に-2億6,540万ドルの流出が出ていますが、これは月末のフローで、8月3日と4日の2営業日で回収されています。5日も+2億4,440万ドル。
ごく普通の動きですね。
⑥ ボラティリティ——事件のあとも、下がり続けています
最後にテクニカルの側からも確かめます。ATR(アベレージ・トゥルー・レンジ、平均的な値動きの幅)を、直近262日間の最大値と最小値で追いかけたものです。

事件のあとも、ビットコインのボラティリティは下がり続けています。8月に入ってからは、262日間の下限だった2.45を下抜けて2.33まで来ました。
市場がこれを重大な出来事として受け取っていたなら、ボラティリティは拡大するはずです。逆に低下が続いているということは、価格の材料としては見られていない、ということになります。
なおこのインジケーターは筆者が作成し、TradingViewに公開しています。ご自身のチャートで試したい方はこちらからどうぞ。→ ATR % (Volatility) [COCOSTA]
なぜ市場は、これを売り材料にしないのか
ここからは筆者の見方も混ざりますが、まず事実から始めます。
盗まれた資金は、いまも大半が動いていません。およそ90%が攻撃者のアドレスに滞留したままで、特に規模の大きかった第1波から第3波の資金は、ほぼ100%が未移動です。
動いたのは約17 BTCだけ。THORChain経由でイーサリアムに変換され、オフショアのオンラインカジノに入金されたことが確認されています。被害者と研究者が凍結を要請しましたが、カジノ側は法執行機関からの正式な要請を求めて断りました。
その一方で、Galaxy Researchは攻撃者のアドレスおよそ600件を、当局・取引所・コンプライアンス企業へ共有しています。つまり出口は、すでに監視下に置かれているわけです。
過去の事例と比べると、この構図の意味がはっきりします。
Coincheckが大量にハッキングされたとき、抜かれたのはNEMという通貨でした。攻撃者はダークネット上に自ら販売サイトを立てて、割引価格で買い手を募っています。アルトコインだからこそ成立した出口です。
ビットコインではそうはいきません。Bitfinexから盗まれたビットコインは、長年にわたってミキサーやダークネットを経由して動かされましたが、アドレスはすべて追跡され続け、最終的に犯人が特定されました。しかもシードフレーズがオンラインのストレージに置かれていたため、捜査権限によってそれが押収され、ビットコインは米国政府に回収されています。
現金には色がありません。犯罪で得たものでも、そうでなくても、区別なく使えてしまいます。
ビットコインはその逆です。すべての取引が透明に記録されているために、盗まれたコインは世界中のボランティアによって自動で追跡され、一挙手一投足を見られ続けます。犯罪者にとって、これほど都合の悪い資産もありません。恐ろしや、と言うべきはむしろ盗んだ側でしょう。
もちろん、私たちの知らない新しい手口が見つかる可能性はあります。ただ、一定の規模を現金化しようとした瞬間に、途方もない年月と、いつかどこかで自分の身元と結びつくかもしれないリスクを背負い続けることになります。取ったはいいけれど使えない、という状態です。
「AIでビットコインが破られた」は、切り分けが必要です
最後に、先回りしておきたいことがあります。
今回の事件をきっかけに、ビットコインは危険だという論調があちこちで出てくると思います。代表的なものが「AIの進化でビットコインはもう安全ではなくなった」というものです。
事実として、Coinkite自身が「攻撃者はAIを使って脆弱性を見つけた可能性が高い」とコメントしています。ここだけ切り取れば、たしかに恐ろしい話に見えます。
ですが起きたことは、AIがビットコインの暗号を解いたということではありません。実装ミスによって生まれた擬似乱数のパターンを、AIが効率よく見つけて再現しただけです。ビットコインのプロトコル、つまりSHA-256や楕円曲線暗号そのものには、何も起きていません。
壊れたのはCoinkiteという一企業のファームウェアであって、ビットコインの内部ではないのです。同じように、他社製のハードウェアウォレットが今回のバグと無関係であることも、Block社の分析で確認されています。
「自己保管そのものが幻想だった」という一般化と、「特定のベンダーの実装ミス」という事実は、分けて理解しておきたいところですね。
まとめ——指標には、前提があります
長くなりましたので、分かったことを3つに絞ります。
- 盗まれた1,400〜2,000 BTCは、流通量のおおよそ1万分の1でした。価格・ボラティリティ・ETFフローのどれにも痕跡は残っていません
- CDD・UTXO・取引所フロー・アクティブアドレスは軒並み跳ねましたが、いずれも「売却」ではなく「避難」で説明がつきます
- 壊れたのは一企業のファームウェアであって、ビットコインのプロトコルではありません
そのうえで、この先の数週間について一つだけ。
旧シードからの移動は、まだ続いています。ですからこれから2〜4週間は、オンチェーン指標を弱気材料として読むのが危ないのと同じだけ、強気材料として読むのも危ない期間になります。
今回の収穫
数字が跳ねたら、まず「なぜ跳ねたのか」を確かめる。指標そのものより、その指標が立っている前提のほうを見る。今回の事件がくれたものがあるとすれば、たぶんそこではないでしょうか。
ここまで無料
では、いまビットコインの価格は
どこにいるのでしょうか。
週刊BTCフォーキャストでは、毎週のBTC市況と大口の動きを、同じ目線で追いかけています。今週号では、この記事の続きにあたる部分を扱っています。
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ココスタ 佐々木徹

