お化け屋敷が閉館した日
― 共産主義の脅威と修正資本主義の正体
前回、上位1%の所得シェアが100年かけてU字を描き、1920年代の水準にもどっていることをお話ししました。
今回は、そのU字の「底」に注目します。
1930年代から1980年代にかけて、なぜ格差は縮まっていたのか。政府が善意で富を分配したから?
ちがいます。恐怖です。
山形カーブの正体
このグラフを見てください。
米国の下位90%、つまり「ふつうの人たち」が持っている資産のシェアです。
1920年代、この数字は約15%でした。富のほとんどは上位に集中していたということです。
そこから数字はじわじわ上がり、1980年代半ばに約36%のピークに達します。中間層がもっとも豊かだった時代です。
そしてそこから急落が始まりました。2012年には約23%。半世紀かけて積み上がったものが、わずか30年で溶けたのです。
この山形カーブに、冷戦の期間(1947年〜1991年)を重ねてみてください。
上昇期は冷戦とほぼ重なり、下落のはじまりはソ連崩壊とほぼ同時です。
偶然でしょうか。学術的にはそうではないと考えられています。
「恐怖の保険料」としての再分配
冷戦期の共産主義の脅威がOECD諸国の所得格差に影響をあたえたかを検証した研究があります。
結論は明確でした。共産主義の広がりへの恐怖が、国内のエリートと労働者のあいだで所得を分け合う合意をうながしていた、と。
つまり、こういうことです。
1945年から1989年まで、西側のエリート層はつねに一つの悪夢をかかえていました。「自分の国の労働者が共産主義に染まったらどうなるか」。
フランスやイタリアには実際に大きな共産党がありました。アメリカですら、1950年代のマッカーシズム(赤狩り)は「共産主義者が内部にいるかもしれない」という恐怖から生まれたものです。
この恐怖が、エリート層に合理的な計算をさせました。
「少し分け前を渡しておかないと、ぜんぶ取られる」。
累進課税、社会保障、労働者の団体交渉権、最低賃金、公教育、医療保険。これらすべてが「共産主義に走らせないための保険料」として機能していた、と見ることができます。
恐怖が税率を押し上げた時代
米国の最高所得税率の推移です。冷戦期間を色分けしています。
1920年代、メロン減税で最高税率は約25%まで下げられていました。前回お話しした「政府が小さくなろうとする時代」ですね。
ところが第二次大戦中に94%まで急騰し、冷戦期を通じて91%という水準が続きました。
91%です。かせぎの9割以上を税金で持っていかれる。今の感覚からするとちょっと信じがたい数字です。
でも当時のエリート層は受け入れました。なぜなら、受け入れないことの代償 ― 共産革命 ― のほうがもっと大きかったからです。
冷戦が終わりに向かうにつれて、この数字は急速に下がっていきます。1986年のレーガン減税で28%まで低下。現在は37%です。
「恐怖」が消えれば、「保険料」を払う理由もなくなる。シンプルな話です。
1989年、お化け屋敷が閉館した
ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。ソ連が消滅したのは1991年。
この瞬間、共産主義という「外からの脅威」が蒸発しました。
冷戦中、西側の政府はある種の「約束」をしていました。「共産主義よりいい暮らしを保証するから、こちら側にいてくれ」。
冷戦の終わりは、この「約束」を守る理由を消し去りました。エリート層は「約束を破る自由」を手に入れたのです。
タイムラインを並べてみてください。
1989年、ベルリンの壁崩壊。1991年、ソ連崩壊。1990年代、米国で金融規制の緩和が加速。同時期に労働組合の組織率が急落。2000年代、タックスヘイブンが爆発的に成長。
下位90%の資産シェアが急落をはじめるタイミングと、共産主義の崩壊はほぼぴったり重なっています。
ただし、恐怖だけではない
ここで率直に言っておくべきことがあります。
「共産主義の崩壊だけが格差拡大の原因だ」と言い切るのは、単純化しすぎです。同時期に走っていた別のエンジンが少なくとも3つあります。
第一に、技術革新による労働市場の変化。コンピュータとインターネットの普及が、高スキル労働者と低スキル労働者の賃金格差を大きく広げました。
第二に、グローバリゼーション。中国が改革開放を進め、東欧が市場経済に移行したことで、世界の労働市場に数十億人が参入しました。西側の労働者は突然、中国やインドの労働者と賃金競争をすることになった。
第三に、金融化(financialization)。実体経済から金融経済への重心移動が、資産を持つ人と持たない人の差を構造的に広げました。
共産主義の崩壊は「安全弁を外した」のであって、格差を広げた「唯一の原因」ではありません。
安全弁が外れたところに、技術革新とグローバリゼーションと金融化という3つの圧力が同時にかかった。だから変化が加速したのだと考えています。
お化けが消えた世界で
現在、共産主義という「外からの脅威」はもう存在しません。
中国は名前こそ共産党ですが、実態は国家資本主義です。エリート層が「分け前を渡さなければ」と感じる構造的な理由が、歴史上もっとも弱い時期にあるとも言えます。
ではエリート層は安泰かというと、そうでもありません。共産主義に代わる「新しいお化け」が出てきています。ポピュリズムです。
トランプ現象、ブレグジット、ヨーロッパの極右台頭。これらはすべて「下からの突き上げ」です。
ただし、共産主義とポピュリズムには決定的なちがいがあります。
共産主義は「システムそのものをひっくり返す」脅威でした。だからエリートは構造的な再分配(累進課税、社会保障)で対応せざるをえなかった。
ポピュリズムは「システムの中で不満を叫ぶ」力です。ひっくり返すのではなく、既存のシステムの中でもっと分け前をよこせと要求する。だからエリートの対応は構造的な再分配ではなく、ブローカー政治家を通じた「個別の取引」になります。
第2回でお話しした構図がここにつながります。CLARITY Actをめぐる銀行vs暗号通貨は、「新しいエリートと古いエリートが、ブローカーを介して分け前を交渉している」構図です。
そして下位90%の国民は、この交渉テーブルに席がありません。
1920年代もそうでした。冷戦の時代(1945〜1989年)だけ、共産主義というお化けのおかげで、下位90%にも席が用意されていた。
今、そのお化けが消えて、席はまた取り上げられつつあります。
では、共産主義はなぜ消えたのか
ここまで「共産主義の脅威が消えた」結果の話をしてきました。
でも一つ、根っこの問いが残っています。そもそも共産主義はなぜ消えたのか。
軍事力で負けたのか。経済力で負けたのか。
実は、答えは「コンピュータ」にあります。ソ連を倒したのはミサイルではなく、情報技術への対応力の差でした。
次回は、「イノベーションか、体制維持か」という人類に普遍的なジレンマを、ソ連の崩壊から読み解きます。
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📚 連載:水面下の力学 ― 100年の繰り返しから見える、人間とお金の本性
第1回「銀行が守っているのはあなたの預金ではない ― CLARITY Actが止まっている本当の理由」
第2回「Follow the Money ― ブローカー政治家の損益計算書」
第3回「5つの歯車 ― 1920年代と2020年代が不気味に重なる理由」
第4回「お化け屋敷が閉館した日 ― 共産主義の脅威と修正資本主義の正体」
第5回「ソ連はコンピュータで死んだ ― 委託販売の本屋が消える理由」
第6回「寺子屋の識字率がペリーに勝った ― 今の時代のリテラシーとは?」
第7回「老害か知恵者か ― ループを回したかどうかで決まる」
最終回「CLARITY Actは中途半端に着地する ― 現実は常にグラデーション」
本連載は、市場の研究とその情報の提供を目的としたものです。投資についての判断は、ご自身の責任でお願いいたします。
ココスタ・トレーディングカレッジ / 佐々木 徹

